魔導書工房の見習い日誌
5話 魔道士協会逸脱対策課
「……なるほど」
自分の指先を絡ませて、男は考える素振りを見せた。
「片瀬さん」
呼ばれて、女がびくっと姿勢を正す。
「は、はい?」
「杖の使用を許可します。彼に何か、魔法をお見せしてください」
「わ、私ですか?」
「はい。私の魔法には、たぶん彼の思うような夢が足りていません。実用性の低いものはどうにも苦手で。若者の間で何か流行っていないんですか?」
片瀬と呼ばれた女は、渋い顔で唸っている。
「病院でやるにはちょっとお行儀が悪い、ですかねえ……」
「許可します」
「………えーっと、じゃあ、千尋君? 私のこと見ててくださいね」
彼女は木製の短い杖を抜いた。合唱の時に使われる指揮棒に似ているが、あれはもっと細いし、白い。彼女の杖には、魔法の杖と呼ぶのに相応しい雰囲気があった。
「では……僭越ながら……“とにかく騒げ ”!」
軽く振られた杖の軌道に小さな花火がいくつも弾けた。派手な破裂音に片瀬が顔を青くしている。
「ど、どうしましょう……看護師さんに怒られちゃったり……」
「それは仕方ないでしょうね。ありがとうございました」
「……はあ」
杖を収めて、女は座る。千尋は目の前で開いたミニチュアの花火に唖然として、初めて見た手品のように頭には「なぜ?」が湧いてはそのまま溜まっていった。
「あ、これはクラブとかで盛り上げるときに使うんですけど……あんまり子供に教えない方が良かったかな……」
「わかりやすく、不思議で、刺激的で、結構だと思いますよ。どうでしょう、千尋君。これが魔法です」
物語の中にあったものと、似ているでしょう。と、男は柔和な態度を変えずにそう言った。
「この世界には魔法というものがあって、それは生活の一部に、仕事として、日々の営みとして、あるいは愉しみとして組み込まれている。その魔法を司るのが、あの世界樹です。上水道から汲んだ水を下水道に流すでしょう? それと同じで、誰かに使われて濁った魔力を吸い上げて、また別の誰かが使うことのできる魔力に浄化する。それが世界樹の機能なんです」
「……本当に?」
「本当です。しばらく暮らせば、嫌でもわかるでしょう。いつか、貴方の故郷に魔法が存在しなかった本質的な意味も……。まあ、つまりその世界樹の機能から漏れた土地があり、そこには魔法が存在しない。魔法使いが生まれない。魔力が循環しない。だから、ニーズヘッグ・エリアと、根の噛まれた土地と、そう呼ばれます」
初めて、男は窓の外を見た。視線の先にある巨木が魔法を司っているのだと、彼は言った。
「……魔法使いではない人間って、どのくらい居ますか」
「魔力の量は概ねグラデーションのようになっていて、魔力はあるけれど魔法を使えると言えるほどではない、という人もいます。これはアルコール耐性の話に似ていますね。まったくの下戸もいれば、いくら呑んでも酔わないザルだっている。でも、呑めるけれど酔う人、呑めなくはないけれどすぐに体調を崩す人も存在している。ですから、魔法使いである、魔法使いではない、という二分は難しいですね。
でも……下戸かそれ以外か、のような分け方をするのならおよそ三割。ほとんど呑めない、を下戸の枠に入れるような分け方をしたら、六~七割でしょうね。世界的にも、この国としても、だいたいそのくらいです。世界樹からの距離で偏りは出るでしょうけれど」
千尋は、場違いにも安堵した。急に魔法というものがあると言われて、それが生活に入り込んでいる。そんな世界の中に、自分のような魔法の使えない人間の居場所がなかったらどうしようと少しだけ不安だった。だが、世の中の半分以上は千尋と同じ「使えない」側だった。それならば、千尋や千尋の家族――それこそ雪車浦の人々が息をできる場所もあるだろう。うんざりするようなこともあったし、好きだと思える人は多くない街だが、それでも急にまったく常識の違う「外」に触れると、急にあの街が自分の居場所に思えて仕方なくなる。
「……あの、雪車浦とここって近いですか。俺は、足が治ったら帰れますか」
「そうですね……。遠いでしょう。雪車浦地区は公共の交通機関がほとんど整備されていませんし、まず、しばらく帰ることはできないでしょうね」
「そんなに、ですか」
「距離というより――雪車浦地区は現在、局地激甚災害に指定された雪車浦豪雪の被災地です。いまは止まない吹雪と、溶けない氷の中にあって、到底人が住める土地ではなくなっていますから」
止まない吹雪と、溶けない氷。千尋は自身が意識を失う直前に感じた冷気と、建物が内側から凍る光景を思い出して目を見開いた。雪車浦に何があったかを知るためには、この大人にどう問えばいいかと考えているうちに男が続ける。
「先程は『魔道士協会』の名前だけ覚えていただけたら、と言いましたが、魔道士協会というのは魔法のある社会が、あるいは魔法使いとそうでない人々とが、平和かつ平等に暮らせるように設立された半官半民の機関です。魔法とは超自然的な力として我々の生活を潤し、彩ることもありますが、同時にそれは大きな脅威ともなる。炎は身体をあたため、食材を調理するのに使う一方で、山をまるごと焼いたり、人を骨まで灰にしたりもするでしょう。
そして、そういった危険な魔法を使う人間もいます。逸脱魔道士、とも呼びますが、言うなれば犯罪者ですね。そうした『人間による魔法被害』に対応するため、逸脱対策課はお仕事をしています」
「…………え?」
「天野千尋君。魔道士協会は、およそ一か月に渡る調査により、貴方が雪車浦豪雪を魔法によって引き起こした『逸脱魔道士』だと判断しました。したがって、貴方には魔力の無期限封印と、記憶の除去が施されます。自身が魔法を使えること、雪車浦という土地で育ったこと、それらを忘れて、貴方はまた生きていく。それだけです」
自分の指先を絡ませて、男は考える素振りを見せた。
「片瀬さん」
呼ばれて、女がびくっと姿勢を正す。
「は、はい?」
「杖の使用を許可します。彼に何か、魔法をお見せしてください」
「わ、私ですか?」
「はい。私の魔法には、たぶん彼の思うような夢が足りていません。実用性の低いものはどうにも苦手で。若者の間で何か流行っていないんですか?」
片瀬と呼ばれた女は、渋い顔で唸っている。
「病院でやるにはちょっとお行儀が悪い、ですかねえ……」
「許可します」
「………えーっと、じゃあ、千尋君? 私のこと見ててくださいね」
彼女は木製の短い杖を抜いた。合唱の時に使われる指揮棒に似ているが、あれはもっと細いし、白い。彼女の杖には、魔法の杖と呼ぶのに相応しい雰囲気があった。
「では……僭越ながら……“
軽く振られた杖の軌道に小さな花火がいくつも弾けた。派手な破裂音に片瀬が顔を青くしている。
「ど、どうしましょう……看護師さんに怒られちゃったり……」
「それは仕方ないでしょうね。ありがとうございました」
「……はあ」
杖を収めて、女は座る。千尋は目の前で開いたミニチュアの花火に唖然として、初めて見た手品のように頭には「なぜ?」が湧いてはそのまま溜まっていった。
「あ、これはクラブとかで盛り上げるときに使うんですけど……あんまり子供に教えない方が良かったかな……」
「わかりやすく、不思議で、刺激的で、結構だと思いますよ。どうでしょう、千尋君。これが魔法です」
物語の中にあったものと、似ているでしょう。と、男は柔和な態度を変えずにそう言った。
「この世界には魔法というものがあって、それは生活の一部に、仕事として、日々の営みとして、あるいは愉しみとして組み込まれている。その魔法を司るのが、あの世界樹です。上水道から汲んだ水を下水道に流すでしょう? それと同じで、誰かに使われて濁った魔力を吸い上げて、また別の誰かが使うことのできる魔力に浄化する。それが世界樹の機能なんです」
「……本当に?」
「本当です。しばらく暮らせば、嫌でもわかるでしょう。いつか、貴方の故郷に魔法が存在しなかった本質的な意味も……。まあ、つまりその世界樹の機能から漏れた土地があり、そこには魔法が存在しない。魔法使いが生まれない。魔力が循環しない。だから、ニーズヘッグ・エリアと、根の噛まれた土地と、そう呼ばれます」
初めて、男は窓の外を見た。視線の先にある巨木が魔法を司っているのだと、彼は言った。
「……魔法使いではない人間って、どのくらい居ますか」
「魔力の量は概ねグラデーションのようになっていて、魔力はあるけれど魔法を使えると言えるほどではない、という人もいます。これはアルコール耐性の話に似ていますね。まったくの下戸もいれば、いくら呑んでも酔わないザルだっている。でも、呑めるけれど酔う人、呑めなくはないけれどすぐに体調を崩す人も存在している。ですから、魔法使いである、魔法使いではない、という二分は難しいですね。
でも……下戸かそれ以外か、のような分け方をするのならおよそ三割。ほとんど呑めない、を下戸の枠に入れるような分け方をしたら、六~七割でしょうね。世界的にも、この国としても、だいたいそのくらいです。世界樹からの距離で偏りは出るでしょうけれど」
千尋は、場違いにも安堵した。急に魔法というものがあると言われて、それが生活に入り込んでいる。そんな世界の中に、自分のような魔法の使えない人間の居場所がなかったらどうしようと少しだけ不安だった。だが、世の中の半分以上は千尋と同じ「使えない」側だった。それならば、千尋や千尋の家族――それこそ雪車浦の人々が息をできる場所もあるだろう。うんざりするようなこともあったし、好きだと思える人は多くない街だが、それでも急にまったく常識の違う「外」に触れると、急にあの街が自分の居場所に思えて仕方なくなる。
「……あの、雪車浦とここって近いですか。俺は、足が治ったら帰れますか」
「そうですね……。遠いでしょう。雪車浦地区は公共の交通機関がほとんど整備されていませんし、まず、しばらく帰ることはできないでしょうね」
「そんなに、ですか」
「距離というより――雪車浦地区は現在、局地激甚災害に指定された雪車浦豪雪の被災地です。いまは止まない吹雪と、溶けない氷の中にあって、到底人が住める土地ではなくなっていますから」
止まない吹雪と、溶けない氷。千尋は自身が意識を失う直前に感じた冷気と、建物が内側から凍る光景を思い出して目を見開いた。雪車浦に何があったかを知るためには、この大人にどう問えばいいかと考えているうちに男が続ける。
「先程は『魔道士協会』の名前だけ覚えていただけたら、と言いましたが、魔道士協会というのは魔法のある社会が、あるいは魔法使いとそうでない人々とが、平和かつ平等に暮らせるように設立された半官半民の機関です。魔法とは超自然的な力として我々の生活を潤し、彩ることもありますが、同時にそれは大きな脅威ともなる。炎は身体をあたため、食材を調理するのに使う一方で、山をまるごと焼いたり、人を骨まで灰にしたりもするでしょう。
そして、そういった危険な魔法を使う人間もいます。逸脱魔道士、とも呼びますが、言うなれば犯罪者ですね。そうした『人間による魔法被害』に対応するため、逸脱対策課はお仕事をしています」
「…………え?」
「天野千尋君。魔道士協会は、およそ一か月に渡る調査により、貴方が雪車浦豪雪を魔法によって引き起こした『逸脱魔道士』だと判断しました。したがって、貴方には魔力の無期限封印と、記憶の除去が施されます。自身が魔法を使えること、雪車浦という土地で育ったこと、それらを忘れて、貴方はまた生きていく。それだけです」
2023.7.7更新分はここまでです。ありがとうございました。