天笠書房

魔導書工房の見習い日誌

15話 魔法だと思った

「三番街で《薬師》をしております。星雨堂店主の水無月と申します」

「……薬師?」

 怪訝そうに復唱したのは協会職員だった。千尋にとっても突然降ってきた単語は、想像こそできるがあまりに突飛なので既知の情報といまいち繋がらない、宇宙の言語のように聞こえる。

「認定魔法士制度について、千尋君のために掻い摘まんでお話します。この国では魔法を使って商うために資格が要ります。医師免許や司法試験ほどではありませんが……調理師免許に近い、と言えばわかりやすいでしょうか?」

 ゆきに問われて、千尋は無言で何度か頷いた。

「以前ご紹介した三番街は、その成り立ちから慣例的に認定魔法士を押し並べて《薬師》と呼びます。三番街には魔法使いのお店が多いので、薬師と呼ばれるもの同士の連盟も存在します。情報共有から商店街の企画・運営まで幅広い諸々を担う……商人の互助組織ですね。まあそれなりに大きなこの組織は、魔道士協会に対してまあそれなりの影響力を持っています」

 繰り返された「まあそれなり」に、魔道士協会の職員の若い方は不思議そうに眉を寄せて首を傾げた。一方で、年長の男の方は笑みに苦い物が混じる。そうですね、と言わんばかりの表情になった。

「……何年か前にいた部署は薬師の方と一緒にお仕事することも多く、たいへんお世話になっていました」

「私はまだご一緒したことがありませんが、師はときどき関わりがあったようで。書物魔法士なので、魔導書や魔法道具の修繕で発注をいただいておりました。もしかしたら師のことはご存知かもしれませんね」

 和やかにゆきが語る。たとえるなら、持っていた包丁を掴んだまま一旦まな板の上に寝かせたような一瞬だった。

「薬師連盟全員ではありませんが、八三店舗、一二四名の署名と抗議文を提出いたしました。雪車浦地区の被災状況調査が不十分であることから、天野千尋君に対する処罰が重すぎるのではないか……といった内容です。こうしたことをするのは初めてで不安ですが、懇意にしている先輩方に手助けしていただきましたから……正式に受理されているはずかと」

「…………。つまり、彼を連れて本部に戻っても予定通りには進まないと」

「ええ」

「そう言われても現場に指示が来ていませんので、上に確認を取りますよ」

「どうぞ、ご随意に」

 魔道士協会の男は一瞬眉間に皺を寄せ、静かに溜息を吐いた。思わず漏れたような小さな声で「またしばらく家に帰れないな」と呟いて目頭のあたりを揉む。

「……片瀬さん、私は外に出て課長に連絡します。戻るまでよろしくお願いします」

「あ、はい……!」

 そう言って、職員は一人病室から出て行った。
 会話に置いて行かれた千尋はぽかんとしてゆきを見る。説明を待っているつもりだったが、相手はそれを察したようで柔らかく微笑んだ。

「一度に言われても混乱してしまいますか?」

「……言ってたことは、わかりました。でも、これからどうなるかとか……。なんで、俺のこと知ってたのかとか……そもそも水無月さん、学生だって……」

 言ってもらってないことはわからない。ゆきは少し困ったような顔をしたが、指で自分の首を示して言った。

「……そのチョーカー。どういうものか知っているので」


「あ……」
 千尋の手が銀色の首輪に触れる。最初から、自分は何か悪い魔法を使った人だと思われていたのだろうかと考えて血が一気に足元まで落ちていきそうになる。

「初めは少し不思議、くらいでした。千尋君の話し方……訛りはほとんどありませんが、驚いたときや独り言で出る言葉が東北のものですよね」

「そう……でしょうか……」

「ええ。それから、曲がりなりにも薬師の端くれなので、大規模な魔法災害のあった雪車浦地区の話題はよく耳にします。それらと千尋君の怪我や話の内容を統合すると完成した推論は、もう答え合わせをすればいいだけでした」

「いつ頃、わかったんですか」

「最後に会った日の少し後です。学生なのも本当。薬師だと言わなかったのは……まだ、自信がなかったので」

「自信?」

「星雨堂は師の店です。事情があって半年ほど休業していましたが、この春に私が店主となって営業を再開しました。ですから、胸を張って薬師ですとは言えなかっただけで……騙そうと思っていたわけではありません。信じていただけますか?」

「大学に通いながら、お店もやってるんですか」

「はい」

「立派な人なんだ」

 納得と、少しの落胆が混じった呟き。それが聞こえたかどうか、ゆきは千尋の言葉に応えることなく話を続けた。

「千尋君の今後については、すみませんが確かなことは何も。ただ、再度検討していただいて……できれば『処罰』という形を取らせない方向に変えたいとは思っています。もうひとつ、私の希望を通せそうなら……」

 ゆきは残った職員の方をちらと見遣って、一歩千尋に近づいた。先程出した名刺を千尋にも渡す。

『星雨堂 水無月ゆき』

 あとは店の住所と電話番号があるだけの簡素なカードは、触ると画用紙のような微かな凹凸があって文字のところも引っ込んでいるのがわかる。それだけだったが、千尋は手に取った瞬間に宝物をもらったような気持ちになった。

「スタッフは私と、装飾担当が一人だけです。今はなんとか回っていますが、以前より仕事が少ない状態なのに既に納期を守るのにいっぱいいっぱいで、これでは先が不安で」

「……はあ」

「お誕生日はいつですか?」

「え……七月七日」

「いまはおいくつですか?」

「十四です、けど」

「では、来年の四月一日からあなたはうちのスタッフになれるということです」

「……それって、お店の規則なんですか?」

「いいえ、『使用者は、児童が満十五歳に達した日以後の最初の三月三十一日が終了するまで、これを使用してはならない。』言い換えれば満十五歳に達した日以後の最初の四月一日からは雇用可能という、日本の法律です。どうでしょうか。約一年、魔法を学んで……それから私に雇用されるという進路は」

「魔法は、水無月さんから教わるんですか」

「はい」

 スカウトです。と、ゆきは苦笑した。千尋は一瞬、そんな夢みたいな提案があるのだろうかと思った。それからすぐに「どうして?」と思う。聞いてみようとする前に「可哀相なので」と眉を下げられるのが怖くて考えることからやめた。深く考えるのもやめにした。何か思惑があって、もしかしたら罠か詐欺なのかもしれないが、たとえそうだとして「可哀相」と思われるより「利用してやろう」と思われる方がマシに思えたのだ。

「部屋がひとつ余っています。師の使っていたところです。もう一人のスタッフは、だいぶ年上の男性。食事は出します。スタッフになるまでも月に決まった額は自由に出来るお金を渡すつもりです。……中々の好条件では?」

 どうやら住むところに食事までくれるという。今まで仕事のスカウトをされたことがないので、正しい答え方がわからない。良い条件だったとして、それを受け入れていい資格が自分にあるかと言われると頷けない。しかし千尋は、思ったことをそのまま、少しだけ口にした。

「……楽しそうですね、それ」

「では、叶うように頑張りますね」

 お願いします、と千尋はぼんやり頭を下げる。ゆきの後ろ、壁際に立つ魔道士協会の職員が不安げに会話を見守っていた。内容を上司に共有しようか否か、という葛藤中なのだろう。悪巧みではないはずなのできっと大丈夫、とゆきは小さな声で千尋に言った。

 きっと、大丈夫。その一言で何かが軽くなったように錯覚する。明日から先がほんの少し怖くなくなる、魔法だと思った。



第1章 白雪の町 終


 2023.7.29更新分はここまでです。
 お付き合いいただきありがとうございました、1章完結です。

 2章はいま書いているところなので、完成次第小分けにして載せていく予定です。引き続きよろしくお願いいたします。